こうして私は鑑定士になった

                                             

「鈴木ワタル」が吉相印と出逢い、鑑定士となるまで  

 
  私「鈴木ワタル」が30数年前、後に私の師となる運勢鑑定士と出逢ってから

 今日までの経緯を綴って参ります。どのようにして鑑定士になったのか・・。

 ブログに掲載したものをまとめました。

 訂正など加えながら書き足してまいります。





































運勢鑑定書
































 






  





























































































姓名判断との出逢








反発と質問







吉相印との出逢い





 ■知人から事務所に超能力者が来ているとの連絡。

 悪いモノが憑いていると、

 その人に会っただけで吐き気やめまいがするのだそうだ


 興味津々おそるおそる出向いた。


 そっと入室したが、私には何も起こらなかった。


 それだけで、私は良かったのだが、


 その超能力者は「お名前は?」と聞いてくる。

 姓名判断だった。


 数人の運勢鑑定がちょうど終了していたところらしい。

 微笑んで「今、悪いね〜!」言う。

 言い当てられたことに、腹が立った


 当時の私は、決して順風な日々ではなかった。


 しかし、頼みもしない姓名判断が的をえていたゆえに


 腹が立った。



 画数で判る運命とは?


 外国人の姓名判断可能なのか・・?


 同姓同名はどうなる?


 今、思えば質問と言うより食って掛かっていたように思う。


 大分時間を費やしたようだ。


 その事務所の経営者に、そろそろ閉店を告げられる。


 すると「印鑑はどうします?」とサンプルケースが出てきた。

 もちろん、不快の気分はエスカレート。


 これが霊感商法か・・・。腹も立って矢継ぎ早の質問。


 印鑑は自己暗示か?

 
 なぜ印鑑なのか・・?


 実印・銀行印・認印の違い。等々・・。

騙されたつもりの

注文





















 ■突然の運勢鑑定が当たっていて驚くやら腹が立つやら・・・で


 最後に、突然の吉相印のおすすめ。


 矢継ぎ早に質問した(即、くってかかった)が、論破できそうに無い。

 おそるおそる、印鑑のサンプル12本入りケースの中の

 一番細いやつ(一番安いだろうと思えるやつ)を指差して値段をたずねた。

 するとまたも「あっ、それは女性用」とくる。


 そもそも、吉相印注文にここに来たわけではない。


 さらに苛立ったが、落ち着いて男性用という細いやつ

 いわゆる「認印」を注文してみることにした。

 騙されたつもりで・・。


 しかし、買うとなるといささか真剣さが増す。


 今度は質問内容も購入後のことに移る。


 「印鑑の効果はいつ頃でますか?」

 鑑定士は私を頭から足元までゆっくり目をおとすと、

 「3ヶ月……5ヶ月…7ヵ月後には結果が出るでしょう」と明言する。


 当時の私の人生のテーマの一つは

 父親の「早く結婚しろ!」問題だ。相手はいない。

 結婚相手は・・・?」と今度はおそるおそる尋ねてみた。

 「う〜ん、19歳・・20歳・21・・・30・・」と。

 すかさずメモを取る自分がいた。

 ついでに「適した方角」も聞き出していた。



 完成した印鑑は1ヵ月後この場所に届けてもらうことにして

 知人の事務所を後にした。

 妙に気持ちが軽やかだった。


 実はこの時点から私の「運」は動き始めていた。

 数日後には様々なラッキーを体験することとなる。

 それは「吉相印効果」のはじまりだった。

到着を待つ




到着

 ■「超能力者が来ている」と連絡を受け、

 訪問した事務所で姓名判断をされ、

 不快・疑り・反発の中で、騙されたつもりで・・・、

 吉相という象牙の認印を買うことになった。


 忘れもしない、32年前の2月24日のことだった。

 1ヵ月後にはその事務所に届くてはずだ。



 注文したとなると、今度は到着が待ち遠しい。

 騙されたつもり・・と言ってみても


 人生が好転するとなれば・・期待している自分がいた。

 何かそわそわと落ち着かない。

 足取りが軽やかといった方が適切かも知れない。


 当時、家具インテリアショップの営業だった私の売上が上がった。

 納品した家具のクレームが大事に至らずサラリと決着。

 突然、旧知からの電話。

 「たまには顔だせ。新築したから必要なものいろいろ有るから来い」。

 家1軒分のカーテン・カーペット・家具類など労せず営業。



 ラッキーなことが何度も起きた。まだ印鑑は手にしていない。

 印鑑注文の効果だったことは後で気づいた。


 印鑑の到着を待ちきれず、時々その事務所に行った。

 まだだよと空振りだが、早く欲しい。

 あれほど食って掛かって、騙されたつもりで、だったのに・・。


 そして、ついに3月24日、印鑑到着。

 印面の黒い墨を洗い流して使い始めた。

 日々携帯し不都合な状況の時はポケットの中で握り締めた。

 社内の人間が何事かと尋ねてくる。

 押印の必要の無い社内伝票にまで印を押し始めていた。
                                             

反発内容


















 
 ■30数年前、騙されたつもりで購入した「吉相印」。

 注文後、印鑑を手にする前からの手ごたえ。

 それでも購入時に騙されたくないと質問した内容は理解できずにいた

 騙されたつもりだったこともあり、理解しようとはしていなかったかも知れない。
 
 意のままにならぬ日々だった私には

 「信用する」よりも、「信用してみたい」そんな思いがあったろう。


 当時、半分食って掛かった質問。

 ・姓名判断とは何だ?

 ・なぜ、姓名判断が当たるのか?

 ・文字の画数の意味とは何か?

 ・外国人の姓名判断はどうなる

 ・なぜ、生年月日で運勢が違う?

 ・同姓同名の人の運勢は?

 ・姓名判断と印鑑の関係は何か?  

 ・なぜ、印鑑で運気が変化するのか?  

 ・印鑑の材質で、運は違うのか? 

 ・印鑑は大きいほど良いのか?

 ・100円ショップ・文具店の印鑑と何が違うのか?
 
 ・自己暗示か?

 ・いつから、印鑑の効果は出るのか? 

 お読みになっている皆様も、


 きっと同じような疑問をもたれているでしょう。


 信じられない私の質問は、当然のことと思いませんか。


 不思議な出来事を何度か経験し、


 おおよそ疑問点が理解できるようになってきて


 少しずつヒトにも薦めていた。
 
  
              

 ■嬉々として、私は手にした「認印」を使いたくて使いたくて、


 不要なものにまで押していた。何かが始まるような気になっている。


 30歳の3月。

当時の日々








母の癌




















































母の死

  吉相印を私が手にする前の状況を話しておかなければならない。

 大学を卒業して帰省すると、そのまま地元の企業に勤めた。


 そもそも、それは望んだ進路でもなかった。


 主体性の無い決断で道を選んだ。



 姉兄が結婚し独立して父母と3人家族となる。


 一人っ子の自由みたいなものが始まったかと思った5ヶ月後。


 25歳の10月。


 以前より食後の腹痛を訴えていた母が


 総合病院で「すい臓癌、余命3ヶ月」の診断。即、入院。

 開業医では「胃下垂」だったはずだ。


 私と父との生活。会社と病院と自宅。食事作りと洗濯とアイロンがけ。


 青汁が効くと聞けば、公園や河原でヨモギを摘んだ。


 まずいだろうと、りんごと一緒にジュースにした。レモンも入れた。


 冬が来る。保存用の冷凍庫を用意した。


 毎朝、父はバイクで病室に運んだ。


 正月は仮退院で自宅で過ごせた。

 おせち料理を買って来て重箱に入れて体裁を整えた。


 それは、母の手作りよりまずいものばかりだった。


 また、病院生活。


 日に日に痩せていく母。それでも4月桜は見た。


 当時一般的でなかったポケットベルを会社から借りて過ごす毎日。


 こんな生活から抜け出したい。それは、思ってはいけない願望だった。


 母の食欲は落ちていた。


 後で飲むと言いながら、青汁はそっと捨てていたらしい。


 時々襲う痛みに耐える母、薬は次第に強いものになる。


 トイレにつれて行く時支えたその肩は細く小さかった。


 私を負ぶったであろうその背も今しも折れそうに思える。


  「癌」の文字が目につくとその本を読んだ。


 「奇跡が起きたお経」と聞けば、そのお経を暗記した。


 怪しくとも「効く水」と聞けば取り寄せた。


 母は、6人部屋から2人部屋へと移った。


 死神退散の「護符」を作ってベッドの下に貼った。



 腹水が溜まり、足がむくむ。枇杷の葉エキスを作った。


 腹水取りにはサザエがよいとも聞いた。試した。


 解熱にはミミズが良いと聞いた。試した。


  個室に移る。


 お灸をやろうとした。煙が出て看護師に止められた。


 当たり前のことだ。

 それでも何が何でもの悪戦苦闘・・。


 「○○ワクチン」はどうでしょう。「ビタミンC」は・・・。


 素人の患者の家族は中途半端な知識で、担当医に訴える。


 「けんもほろろ」と言うのはこういうことかと知った。


 8月になった。

 夏祭りの季節だ。3日間つづく。


 2日めの夜、容態は悪化した。

 祭りの太鼓と歌が聞こえる。

 医師は祭りだという。



 翌日、家族に見守られながら母は静かに息を引き取った。


 母、満56歳


父の再婚

 
  
前回記したように、すい臓癌の母と家族の戦いは終了した。


 母は満56歳で逝った。


 周囲は「若かった」と惜しむ言葉をくれる。


 20歳代の私には「若い」がピンと来なかった。


 家族のために自分を抑え、あっけなく終えた人生。

 

 数日後、父は仏壇を注文して来た。


 押入れを改良して仏間を作った。


 仏壇の前に長時間座る父の姿がある。


 父60歳。


 戦争を海軍で過ごし生還した父。


 妻に先立たれた男。



 ヒトの一生について考えるようになった。

 病院通いからは解放されたが、


 父との二人暮らしはそのままだった。



 数ヵ月後、叔父(母の弟)が父に再婚話を持ってきた。


 父も私も疲れが出ていた頃かもしれない。


 母方の叔父だからこその配慮だったのかもしれない。


 26歳の私には年齢的に新しい母は不要だった。


 しかし、以前ほど元気が無くなった父が心配だった。



 話は進み、親戚だけの小さな祝宴のあと


 その日から3人家族となった。


 少しずつ家事から解放されてきた。



 新しい生活に慣れてきた頃、


 父は私に結婚するように言い始めた。


 私27歳。

 まだ急ぐ必要の無い年齢だ。

結婚への圧力





父からの逃避



























疲 れ






 母の死。父の再婚。



 突然父が私に結婚しろと言い始めた。


 本人の意思とは別に、父は知人に私の縁談を求めていた。


 見合い話を次々に持ってくる。


 封筒に簡単な家族構成や履歴を書いた便箋と写真が一葉。


 それは、まるでカタログのようであった。



 私は父を無視して逃げ出すことにした。


 仕事が終わっても家には帰らず、夜の飲食街にまぎれこんだ。


 それは、1年間の内300日以上だったかも知れない。


 父が寝床についてから帰宅する毎日。



 「結婚しろ」


 「親のためにか」


 「そうだ」


 「人間性を磨きながら仕事をしっかりしなさい。


 そして、少しずつ結婚も意識するように。と言うべきではないのか」


 「一人前でない子供が居ると、親も一人前になれない」



 そんな、理不尽な会話に付き合っていられない。


 今、思えば継母が自分の存在のせいで


 私の婚期が遅くなったらまずいと父にプレッシャーを


 かけていたらしい。


 父は表現が下手でわけの分からない言い方をしていたようだ。


 ともあれ、私は知人の居酒屋やスナックの常連となり


 友人知人も増えていった。


 父は私の意を解さず。アルバイトをしていると思っていた。



 そんな、生活は3年も続いただろうか。


 仕事はそれなりに手を抜かず平静に努力していた。


 時々見苦しい惰性で過ごす日々。


 得ることも多かったが、青春末期の怠惰な日々。



 悔やんではいないが、精神的に疲れが出ていた。



 なぜ、こんなことをやっているのだろう。


 私はこんなことをしていて良いのだろうか。


 毎日の暮らしぶりが嫌になっていた。


 しかし、自分を捨てて蒸発する気にもなれない。


 居酒屋のカウンターで原稿用紙を広げ


 「死にいたる病の淵より」とタイトルを書いた。

開運前夜





























 ■まさに、その翌日 運勢鑑定士と出会うこととなる。


 居酒屋のカウンターで、何でこんな生活かと原稿用紙を開いて


 自問自答して、自分を整理したいと考えた翌日。


 「今、事務所に超能力者が来ている」と連絡が入ったのである。


 「吉相印で人生が変わった その1」(この頁のトップ)の内容が始まる。


 そのタイミングは偶然とは言いがたい。



  毎晩、夜に出た私は暗かったかも知れない。


 店のカウンターで常連客と談笑していても


 人生に根っこみたいなものが無いまま、はしゃいでいた。


 後日哀れんでいた知人の談もある。



  意のままに成らぬまま社会に出て、


 間もなく母が闘病し、看護の日々が続き、


 母が逝き、心の整理もつかぬまま父が再婚し、


 新しい生活を作ることにやっきになり、


 母を偲ぶアクションが継母の前では罪悪観を覚えた。


 そして、父から離れた日々。



  私自身の運勢鑑定の結果は、「破兆あり家族縁薄く孤独不和逆境の兆」


 「事故遭難波乱の凶数。病難悲運の凶相」。短命の暗示だ。


 初対面の鑑定士に「今、悪いね・・。」と言わしめることだけある。


 その時笑顔で言われたことでも腹が立ったが、


 それは改善できるという確信があったればこそだった。



  運は変わる。変えられる。変わってしまう。


 1983年2月24日吉相印を注文し、少し何かが変わり始め。


 3月24日吉相印を手にしての旅が始まった。


 30歳の時である。

不思議な一致






























  開運の効果は「3ヵ月後・5ヵ月後・7ヶ月後あたりには出ている」と


 注文した時に鑑定士は断言していた。



 本当だろうか・・騙されたつもりで・・注文。


 しかし、実際手にすると期待が湧く。


 本当であって欲しい。いや、信じてみたい。



  それでも、父への反発行動は続いていた。


 新しい母にも精神的負担をかけていたかもしれない。


 毎日、弁当を持たせてくれた。


 帰らないのに夕食一人前用意してくれていた。


 私も気を遣っていたが、惰性の日々だった。



  吉相印を手にしたのが3月。


 5月、親友の母から「写真を持って来い」との電話。


 また、余計なお世話。


 独身女性を紹介するということらしい。


 友人の結婚式で司会をしているスナップ写真を持っていった。


 結婚を急ぐつもりは毛頭無いが


 父からの縁談への反発だから、「私の知人から」の・・・。


 に、なぜか即答してしまっていた。


 結局5月中は忙しいということで6月に会うことになる。


  印鑑を手にして3ヵ月後だ。


 方角、年齢・・すべて購入時の鑑定士の応えに合致していた。


 結局、効果の出るという7ヵ月後を待たず
9月には婚約。



  少しは「暦」を勉強していた。


 翌年2月4日以降は厄年に属する年回り。


 年内の結婚を相手の親に申し出たが、了解を得られない。


 年明け早々をお願いしたがそれもままなら無い。


 仕事の都合上、結婚式場となるホテルは決まっていた。



  何とか決まったのは3月24日。


 吉相印を手にした丁度1年後のその日であった。


 ■吉相印を手にして丁度1年後のその日、私の結婚式となった。


 偶然にしては、合いすぎるその不思議な事実は「吉相印」から


 「吉相印パワー、思い知ったか」と言われたようなの衝撃だった。



  結婚式当日入籍を行った。


 婚姻届には認印ではなく、新たに作った吉相の「実印」を使用した。


 その日から刷新した銀行通帳はもちろん、新品の「銀行印」を用いた。



  私は、父の「早く結婚しろ!」の呪縛からは解放された。


 1年前に出会った鑑定士はいつの間にか私の師となった。


 各地を回り一ヶ月に一度山形市に滞在する「真鍋孝明氏」がその人だ。


 数年後、「鳴宮健峰」を名乗り、山形に「東聖堂」を置いた。


 師を私に「超能力者」と紹介したヒトは、


 私のような不思議の体験者であったのであろう。


  師はフィリピンから「心霊手術のヒーラー」


 韓国から「気功師」などを招聘していた。



 ■妙に私に知人が増えていった。古い知人の付き合い復活もある。


 様々な相談が来る。付き合の浅いヒトからも来る。


 しかも応えると、内容が的を得るようになる。


 しかし、重要なテーマは真鍋先生の来県を待ち


 相談者との出逢いの場を作った。


 相談者が増えても勤め人の私はセッティングするのが難しくなってきた。



  私も姓名判断や五行説や九星気学など勉強し始め、相談に応じた。


 私のヒトへのアドバイス内容が正しいかどうか


 師の来県の折に、報告してご教示を仰いだ。


 大抵の場合「う〜ん、それでいい」の返答。


 私の鑑定士修行が始まっていた。31歳
脱サラ




















































































































  母の看病と死・父との二人暮らし・父の再婚・プレッシャーから逃げる日々


 吉相印との出逢い・結婚・長男誕生・・・。



 自分の人生はこのままで、いいのだろうかと考えていた。

 自分の人生を生きる。抽象的な感覚かもしれない。


 私を突き動かしていたのは


 自分の事を後回しにして家族のために生きた母の死。


 これでも「人生」。短い人生なら・・・・。

 自分らしいことを、やりたいことをやろう。


 収入も不安定になるかもしれない。

 しかも、子供が生まれたばかり。 


 現状でも問題は無い。

 しかし、もっと自分らしく・・・。


 打ち込めるものが欲しい。


  紙の上に、たくさんのメリット・デメリットを書き出してみた。


 たくさんのテーマをつくり自分に問いかけてみた。


 シンプルな表も作って書き込みを始めると、自然に心の整理がついた。

 書き込み終了時には脱サラを決断。

 今、商品として提供している
開運やる気ノート」


 「分岐点の決断」の原型が出来ていた。



  生活関連用品の販売を目的に開業。


 友人の結婚披露宴の司会を多数の経験から、


 式場やホテルより仕事として依頼を受けることとなる。


 ウェディングベルと関連をもたせ屋号は「ベルウッド」。


 早い話「鈴木」である。



  運勢鑑定の師に報告すると、こちらも手伝ってくれと言う。


 印鑑の象牙のサンプルをわたされ、鑑定士名を命名された。


  師より与えられた鑑定士名は「鈴木雅象」。


 しかし、まだまだ実践不足。


 名刺に運勢鑑定士を記したのは、数年後のことである。


 現在は「鈴木晴山」を名乗っている。



  およそ3年間。独身末期の怠惰な日々。


 吉相印との出逢いから3年間は、


 結婚・子供誕生・脱サラと転機になった。


 「吉相印」で人生が変わった。



 今まで、吉相印をお届けした方々の体験の一部を紹介します。

 
 すべての人の運勢が違うので誰にでも同じことが起こるものではありません。


 参考のみとなさってください。


 ・うつ状態の改善


 ・売り上げのアップ


 ・間関係の改善


 ・リーダーシップの確立


 ・レームの回避


 ・迷いや心の揺れの安定 


 ・不登校の改善


 ・知人の増加 


 ・プラス思考への変化


 ・難関試験の合格


 ・議員初当選


 ・家庭円満


 ・チャンスを活かす


 ・性格が穏やかに変化


 ・昇進・目標設定の自覚


 ・発言力の増大


 ・吃音(どもり)改善 


 ・転職の実現 


 ・嫁姑の関係改善


 ・結婚


 ・人間関係の修復 


 ・恋愛成就


 ・イジメの解消


 ・脱サラの実現


 ・つわりの軽減


 ・ヤル気の増大


 ・子供の結婚・・・

 「吉相印」ご購入の方が、目標としていた事であったり、


 全く考えてもいなかった事だったり様々です。


 我欲から離れた小さな出来事から、好転現象が始まります。


 ブログテーマ 「吉相印」で人生が変わった まずはここまでとします。

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幸せのチャンスを買うことは可能です。

   
    

 
   理屈ぬきで、すごいパワーを実感したから鑑定士になりました。

    

 上記の質問内容はこのホームページ「しあわせ開運塾」の

  



  「吉相印」は

   弱運を強く、
強運を伸達させようというものです。

   「印面」には世の中の森羅万象を表す家相盤・方位盤・風水師の持つ羅盤などと

   同じような意味合いがあります。


  世の中の理があります。愛情・蓄え・発展・変化・病気・健康などなど、

   円の四方八方にポイントがあります。


  「八方位」という文字はおそらく目にしたことはあるでしょう。

   東西南北・東南・東北・西南・西北の八です。


  文字が周囲の円に接する点「接点」を運気の弱いポイントに付けて強めます。

  さらに、印の文字(姓・名)の画数に「接点」の数をプラスし、

   合計数も「吉」にしてゆくのが「吉相印」のあり方です。

   しかも、
秘伝のパワーを「入魂」致します。

  文字は、基本的に篆書体をもとにした「印相体」を用います

  印鑑は持つヒトの分身であり、お守りです。


   「姓名判断と吉相印」については、さらに詳細リンクページご覧ください。 姓名判断と吉相印

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尚、商品としての

鑑定書より

簡単なものです。

必ず鑑定致しますが、

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 日々の生活に光を!認印で。






                ■「開運の効果」は、いつ出る?

  
             注文した日から、感じる方がいます。鈴木ワタルの場合、ウキウキと楽しい日々が訪れました。

          注文 → 作印 → 納品 → 使い始め → 印鑑登録(実印の場合)。

          また、3ヶ月・5ヶ月・7ヶ月と順を追うごとに手ごたえを感じる方が多くいます。


           具体的例ですが、「周囲のヒトの接してくる様子の変化」をあげていらっしゃいます。
  
          また「プライベート面での相談者が増えること」も多くの方が体験しています。

           相談に乗ってあげてください。アドバイスできることばかりです。



 
            
吉相印 サイズ・材質・価格一覧

                                     
個人印について記載しております。会社印はお問い合わせください。

高額な商品です。ご納得のうえご注文ください。

ご不明な点はメールでお問い合わせください。

また、現在の状況にどの印鑑がふさわしいのか、アドバイス申しあげます。
                                        
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                 ■「内金」入金確認後の製作となります。 残金は代金引換(代引き手数料込み)です。

                 ●お好きな印材・サイズをお選び下さい。男性と女性でおすすめサイズが違います。


 ●材質による吉凶などはございませんが、個人印のお奨め印材は、何と言っても「象牙」です。

  ※全品に、お作りした印鑑の吉運の意味などを記した『鑑定書』と『トカゲケース』お付けします。

    プレゼントのための「桐箱」や「ワニ革」のケースなども用意してあります。お問い合わせください。

    下記表以外に直径18mmや、黒水牛ほか様々な印材も用意いたしております。

    会社で使用する。代表者印などもお作りいたします。見積り致し
ます。

                       ご購入に際し、お名前(フルネーム)と生年月日をお知らせください。

                  運勢を鑑定させて戴いた上で、運気の開発を考慮して作印させていただきます


                        価格表は彫りあがりでの納品の金額です。



          苦しんでいる方がいれば、あなたの笑顔と愛で支えて差し上げてください。

               幸せのネットワークはあなたに返り、さらに豊かな気持ちになります。

           もし、その方が素直で前向きな方なら、ぜひ吉相印の存在をお話しください

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