吉相印を私が手にする前の状況を話しておかなければならない。
大学を卒業して帰省すると、そのまま地元の企業に勤めた。
そもそも、それは望んだ進路でもなかった。
主体性の無い決断で道を選んだ。
姉兄が結婚し独立して父母と3人家族となる。
一人っ子の自由みたいなものが始まったかと思った5ヶ月後。
25歳の10月。
以前より食後の腹痛を訴えていた母が
総合病院で「すい臓癌、余命3ヶ月」の診断。即、入院。
開業医では「胃下垂」だったはずだ。
私と父との生活。会社と病院と自宅。食事作りと洗濯とアイロンがけ。
青汁が効くと聞けば、公園や河原でヨモギを摘んだ。
まずいだろうと、りんごと一緒にジュースにした。レモンも入れた。
冬が来る。保存用の冷凍庫を用意した。
毎朝、父はバイクで病室に運んだ。
正月は仮退院で自宅で過ごせた。
おせち料理を買って来て重箱に入れて体裁を整えた。
それは、母の手作りよりまずいものばかりだった。
また、病院生活。
日に日に痩せていく母。それでも4月桜は見た。
当時一般的でなかったポケットベルを会社から借りて過ごす毎日。
こんな生活から抜け出したい。それは、思ってはいけない願望だった。
母の食欲は落ちていた。
後で飲むと言いながら、青汁はそっと捨てていたらしい。
時々襲う痛みに耐える母、薬は次第に強いものになる。
トイレにつれて行く時支えたその肩は細く小さかった。
私を負ぶったであろうその背も今しも折れそうに思える。
「癌」の文字が目につくとその本を読んだ。
「奇跡が起きたお経」と聞けば、そのお経を暗記した。
怪しくとも「効く水」と聞けば取り寄せた。
母は、6人部屋から2人部屋へと移った。
死神退散の「護符」を作ってベッドの下に貼った。
腹水が溜まり、足がむくむ。枇杷の葉エキスを作った。
腹水取りにはサザエがよいとも聞いた。試した。
解熱にはミミズが良いと聞いた。試した。
個室に移る。
お灸をやろうとした。煙が出て看護師に止められた。
当たり前のことだ。
それでも何が何でもの悪戦苦闘・・。
「○○ワクチン」はどうでしょう。「ビタミンC」は・・・。
素人の患者の家族は中途半端な知識で、担当医に訴える。
「けんもほろろ」と言うのはこういうことかと知った。
8月になった。
夏祭りの季節だ。3日間つづく。
2日めの夜、容態は悪化した。
祭りの太鼓と歌が聞こえる。
医師は祭りだという。
翌日、家族に見守られながら母は静かに息を引き取った。
母、満56歳。
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